生きる
テレビを見るたび、新聞を読むたび、刻々と広がっていく被害状況、明らかになっていく惨状に言葉を失う。
職場で感じたあの揺れが、こんなにも大きなことになっているとは思いもしなかった。
連日新聞を食い入るように読む自分がいる。
そして想像する。
1000年に1度の大災害は、明日やってくるかもしれないと。
亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、今なお行方不明の方々をどうか早く見つけて下さい、そして被災地で大変な思いをしている方々へのお見舞いと1日も早い復興を願うばかりである。
職場のお昼休みにラジオを聞いていたら、『テレビを見ては落ち込んでしまう。自分にいま何ができるのかを考えると、私ってなんてちっぽけなんだろうと思う』と、まるで私と同じ心情を吐露するリスナーからの投書があった。
当たり前で何ひとつ変わらない日々を送ることは、とても悪いことをしているように思えてならない。
リスナーの投書には続きがあった。『ずっと落ち込んでいてもなんにもならない。自分にできることはたとえちっぽけでも、それを行動に起こすか起こさないかは全然違うことだ』と。
大きなことは、大きなことができる人に任せよう。
私は私のできることをしよう。それはきっと明日につながる。
当たり前で何ひとつ変わらない日々を送ることは、とても大切なことなのだから。
生きる 谷川 俊太郎生きているということいま生きているということそれはのどがかわくということ木漏れ日がまぶしいということふっと或るメロディを思い出すということくしゃみをすることあなたと手をつなぐこと生きているということ
いま生きているということそれはミニスカートそれはプラネタリウムそれはヨハン・シュトラウスそれはピカソそれはアルプスすべての美しいものに出会うということそしてかくされた悪を注意深くこばむこと生きているということいま生きているということ泣けるということ笑えるということ怒れるということ自由ということ生きているということいま生きているということいま遠くで犬が吠えるということいま地球が廻っているということいまどこかで産声があがるということいまどこかで兵士が傷つくということいまぶらんこがゆれているということいまいまがすぎてゆくこと生きているということいま生きているということ鳥ははばたくということ海はとどろくということかたつむりははうということ人は愛するということあなたの手のぬくみいのちということ